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インドア(室内バレー)の元全日本女子代表・菅山かおるが、今年からビーチバレーに転向した。インドア時代のファンだけでなく、透き通るような白肌が代名詞でもあった菅山かおるの水着姿を期待してか、転向発表と同時に、多くのメディアやファンが彼女の動向を追った。
ビーチの妖精、浅尾美和とのビジュアル対決に期待が高まり、寒さでスパッツを着用すればそれだけで話題になる。写真撮影時にサングラスを外すことを拒めば「ツンツン姫」と揶揄(やゆ)された。試合へ出場すれば、大会全体の結果ではなく、菅山・溝江ペアの勝敗だけがクローズアップして報道される。
よくも悪くも、注目を集める存在であることは間違いない。だが、一つ忘れられている本質がある。菅山かおるは、ビーチバレーでも通用するのか。
全日本で活躍し“かおる姫”の愛称で人気を集めた菅山。2008年5月にVプレミアリーグのJTを退社し、インドア(室内)バレーから引退した。競技を離れてからは、子どもたちへのバレー指導などをしながら「のんびり過ごしていました」。しかし、昨年9月に「絶対にやらないと思っていた」というビーチバレーを東京・六本木ヒルズで観戦し、「ワクワクして、自分もそこに立ってやりたい」と、競技への興味を持つように。今年に入ってからビーチ転向の意思を固めた。
菅山 かおる(すがやま かおる、1978年12月26日 - )は、日本のビーチバレーボール選手。WINDS所属。宮城県岩沼市出身。
小学校3年生からスポーツ少年団に入りバレーボールを始める。高校2年生の時に第27回春の高校バレーで優勝、3年生では主将を務めた。
高校卒業後は小田急ジュノーに入社しアタッカーとして活躍。1999年、チームの廃部に伴いJTマーヴェラスへ移籍。JTではV1リーグ降格、再昇格を経験。熊前知加子の加入により2004年からはリベロに転向。
2005年、第11回Vリーグにおいてチーム初の4強進出貢献を評価され、全日本代表に初選出。当初はリベロでの登録であったが、選手の怪我などによる戦線離脱でレフトが不足となり、後にレフトへ登録を変更。
全日本デビューとなった2005年ワールドグランプリでは、攻撃・守備の両面で活躍。可憐な容姿にも注目が集まり、「かおる姫」の愛称も定着。翌2006年、世界選手権に出場。
2008年5月31日、JT退社および現役引退。[1]
2008年9月、第6回パーカッシオ美脚大賞スポーツ部門受賞。
2009年2月、ビーチバレーの選手に転向することを発表。今シーズンのペアの相手はビーチバレー女子ジュニア選手権大会で優勝経験もある18歳の溝江明香(産能大)に決定。室内のバレーボールでは果たせなかった五輪出場を目指す。
JTに移籍した1999年は、JTマーヴェラスが第1回V1リーグで優勝した年だったことから、同年入社の菅山が「優勝のユウ」、同期入社の朝倉香苗は「優勝のショウ」がコートネームになった。全日本に選出される以前から、Vリーグのオールスターゲームにファン選出されるなど、バレーボールファンからの人気は高かった。
「かおる姫」と呼ばれているが、ジャージ姿で近くに買物に行ったり、好きな芸能人に哀川翔、好きなスポーツ選手に清原和博、亀田三兄弟その他、好物に馬刺し・ラーメンを挙げるなど、性格的には男っぽいらしい。
JTのチームメイトである竹下佳江とは仲が良く、チームの写真撮影や全日本合宿での食事風景、プライベート時でも菅山の隣に竹下がいることが多い。JTのCMには竹下、宝来眞紀子と出演している。現役時代はコーチから「もう練習を終わりにしよう」と言われても納得いくまで練習し続ける、かなりの練習の虫であった。